中高層条例と原発

 「想定外」という言葉を一度使いますと、次は想定しなければ成らず二度と「想定外」は使えません。そこで行政は次の言葉を見つけなければ成りません。見つかったでしょうか。
 google:中高層条例は近隣紛争を役所に持ち込むなという条例です。誰かが役所に怒鳴り込まないようにしろという条例。勿論違反建築ではありませんが、紛争は起きます。合法なら良いというわけにも行きません。そもそも建築・都市関係の法自体も体系・計画性に乏しい。中高層条例には、双方の申し出により知事は斡旋を行うという規定もありますが、解決の見込みがないと認めるときは知事は斡旋を打ち切ることができるという規定もしっかり有り、行政の要望も現実にも現場で何とかしています。
 行政の立場は原発再稼働にしても当事者で何とかしろ・問題を役所に持ち込むなという所でしょうか。仮に中高層条例の第一条の中高層建築物を原発に置き換えて見ます。

第一条 この条例は、中高層建築物の建築 原発に係る計画の事前公開並びに紛争の斡旋及び調停に関し必要な事項を定めることにより、良好な近隣関係を保持し、もつて地域における健全な生活環境の維持及び向上に資することを目的とする。

 世界では住宅の些細な増改築でさえもその地域住民に周知徹底が行われ議論し決定している地域もあります。外壁の塗り替え時の色だけにしても然り。そうする事で良好な地域を保とうとします。
 3.11以降は想定外だった事も想定しなければ成らなくなりました。逃げるしか無い物の事ですから電力会社の相手は人類或いはGaiaでしょうか。電力会社は信用される情報と共に説明・説得し役所を安心させるという構図が浮かびます。(もし中高層条例のような手続を取るならば)電力会社はクライアントですから実際に動くのは設計事務所やゼネコンやメーカーなどでしょうか。周知だけで済めば良いですが、呼び出しが有れば出向かなければ成りません。相手がプロならプロが出向くことになります。移住・避難・その他の関係者は多く広範囲で関心も高い。兎に角役所へ電話一本も入らないようにしなければ成りません。役所の立場から見れば、事業者が周知徹底し合意・同意を取り付けて来なさいという所ではないかと。

道具としての法

 道具は使わなくても良い。道具は使う者次第。道具としての法を行政が使えばロボットから反逆を受けるようなもの。法は(行政は)市民が使うもの。道具は磨く。道具は手入れをする。道具は選ぶ。道具は改良する。道具は開発する。
 法を信号機に例えれば、信号機は信号無視をして来る者を止める事は出来ない。自ら左右前後をよく確認すれば良い。信号機は往来が有っても無くても同じように点灯しているが、往来が無ければ渡れば良い。法は使わなくても良い。法は使えない時も多い。手信号をした方が余程気が利いている。
 レシピを公開しても同じ料理は出来ないように、バイオリン製作にマニュアルは無いように、法令遵守なら安全・安心など有り得ないが、法令通り・ガイドライン通り・マニュアル通りに行う事で責任を問われないシステムが浸透している。責任回避が責務かのようだ。

パッシブ/アクティブ

 そのままのパッシブ。太陽で温められた空気を工夫をしてそのまま暖房に使うパッシブ・ソーラー。太陽光で発電してエアコンを使うアクティブ・ソーラー。パッシブは個々のもので数値化・規制化に馴染まない。アクティブは標準化・数値化・規制化に馴染む。役所と企業はその立場上アクティブの手法を取る。もし太陽光発電パネルが義務化されればパッシブ・ソーラーは殺され、個々の工夫も葬られ、役所と企業から発電・蓄電装置を買わされるだけの存在に落ちぶれる。3.11以後も以前にも増して同じ道を敷く積もりだ。宇宙船のような空間を地上にも作ろうとする役所と金融業者とそのフロント企業

「空気」を作る機関

 「報道」という言葉の翻訳は困難だとも聞きますが、報道機関なら諜報機関などと同じ機関だ。何の機関なのか。「空気」を作るための機関。組織同士の連絡版のようにも使われるのでしょうか。その空気で裁判の行方も変えるのでしょうか。
 納豆がお店から消えた時期が有りました。なぜなのかは私には分かりませんでしたが、ダイエット効果があると伝えられたからでしょうか。姉歯さんでは審議委員に俎板の上の建築士とまで言わせ、建築士を定期的に呼び出し講習料を納めさせ会場に缶詰にしました。小泉首相の演説に内容は有りませんが大勢の人々が集っていました。報道機関の威力は大変なものだなと思います。ドンパチを始めさせるのも意外に簡単かも知れません。
 各報道の依頼主とその意図を想像しながら接するのも面白くもありますが、恰もそれが結論かのように報じ既成事実化して行く事は実に不気味です。立派な塔まで建て且つ電波も独占し、どこまでやれば気が済むのか。もう止めにして頂きたいが、争い事の一環なら止まらないかな。
 

ジャンクハウス

 日本では庶民でも建築家へ依頼し家を建てられる方々も少なくなく、住まい方も柔軟・多様で、このような事は日本特有らしい。世界では「ビル・ゲイツでもあるまいに」という具合。注文に応えるビルダーや職人たちが居られるから実現もでき、建築主は恵まれた環境にある。建築家にも恵まれた環境で、仕事も得られる上にローコストや小さな家の方が遣り甲斐もある。コストを上げる事は簡単だし、厳しい敷地条件の方が萌える。
 この度経済産業省は省エネと経済対策を旗印に建材も規制すると言う。新建材の開発も期待するらしい。建材が限られれば構法も限られます。住宅の金融商品化も止まる所を知りません。中古住宅市場の整備のための住宅履歴書・200年住宅も住む人のためでは無い。人はただの消費者。家も牛丼やハンバーガーのようです。金融業者や役所から見ればトレーサビリティは完璧だし調理もマニュアル化され安全・安心。売上・利益の勘定もし易く、投資にも向いている。
 日本は衣服に関して後進国だと言われます。民族衣装である着物を着る事が出来ない。洋服の扱い方も知らない。シャツをクリーニングに出す事は欧州では無い。自分でアイロンを掛けるし、型崩れもしない仕立てになっているらしい。昭和30年代くらいまでは着物姿も珍しく無かったでしょうか。洋服にしてもオーダーメイドも珍しく無かったでしょうか。今後、日本の住宅もジャンクフードのように成るのでしょうか。
 

図面を歩く

 建築設計の際には図面の中を歩きながら動線や機能性、眺め、見え隠れ、明るさ暗さ、広さ狭さ、高さ低さ、寒さ暖かさ、風通し、防犯性、掃除・保守点検のし易さ、施工性、コスト、街並み、、等々を想像しながら設計を進めます。図面の中に自分を置くわけですが、CADの場合は図面を拡大縮小しながら作業をするためにスケール感を失いバランスを図れなく成ります。又、コピペという便利な機能も有り、それを繰り返し組み合わせると何となく出来上がってしまいますが、やはりバランスが悪い。そのCADの弊害かと思わせる建物に出会いました。まるで障害物かのような建築物でした。部分に止まらず平面までコピペしたのかと思わせました。

潜在的核保有国

 日本は即時核兵器へ転用可能な状態という意味で潜在的保有国だと言われます。そうかも知れません。発電のための燃料は核でなければ成らない事も無い。河川の水量に匹敵する海水を7℃上げて海へ戻すような装置がスマートだとも思えない。電力会社も敢えて核を扱いたくも無いはず。沖縄電力だけが核を運用していない(なぜかな)。その他9社は全て運用している。原発は核燃料の確保と核技術の保持が目的だと考えられる。核は軍隊の管理下に置き本来の目的通りに運用されれば良いかも知れませんが、国内外共に核兵器保有が認められないという日本。電力会社も事故の賠償はするのでしょうが、核の運用に何の主体性も無く責任も問われる事も無いのだろう。政府も第一義的には電力会社に云々と言う。メーカーも電力会社にとっては「出入りの業者」の一つに過ぎない。ある著名な方のメーカーを辞めた理由が「出入りの業者」に過ぎなかったからだと。核に対してどこも正面に向き合っていない。日本は潜在的であれ核保有国だから国として居られるという説から、核戦争が目的なため日本にも核を持たせるという説まで見ますが、本当の所はどうなのでしょう。
 核は核として、発電技術の開発の方に関心有り。