無責任体制と法

設計者は法規制も有り大臣認定品・工法などを設計図書に記載します。もしその大臣認定に問題が有っても設計者は知らぬ事。認定する大臣も知らぬ事。役所に言わせれば虚偽の申請だったと言うのかも知れません。
お店で売られている物に問題が有っても店員も店長も経営者も知らぬ事。商品を撤去するだけの事。法的にもそれで問題無い。責任も問われない。
[生肉]
ある店主は自ら生肉を見て触り確信を持ち従来通り生肉を出すと言う。責任とは確信を持つ事。法規制は関係無い。責任とは確率を計算する事でも賠償する事でも裁判所が決める事でも無い。
自ら判断出来ないけれど法規制さえ守れば営業が出来るという無責任体制。法が玄人を殺し素人をはびこさせる。

囚人

ある映画で仮出所中の受刑者が浴槽に浸かりながら両手を開き顔の前に掲げ数を数えていた。監獄には様々な規則が張り巡らされている。監獄に限らず規則が張り巡らされている。
監獄は「リハビリセンター」とも呼ばれます。規則正しい生活。食事は適正なカロリーとバランス。行政から見れば監獄は理想の空間かも知れません。
もし行政を頼りにすれば囚人化。

時は金なり?

時の流れとは生きる事そのもの。生きる事がおカネだなんて…。
現実におカネが無ければ水さえ飲めない。建築物に至ってはおカネの都合でしか無い。街並みもおカネの都合でしか無い。
カネ勘定をして壊して作り変えた方が良いと成ればそうする。時は金なり。この事から伝統も文化もコスト負担でしか無くなる。生きる事がコスト。
カネ勘定は非常に短時間。その年の。その月の。その日の。その時間の。。。
居ごごちの良い空間とは人の生活そのものが体現されたもの。生活が体現されているから居ごごちが良い。まるで植物のような建築群。何世代にも渡り受け継がれる。敢えて伝統・文化と言う事も無い。
建築基本法の目的は何だろう。スポーツ基本法などもあるが、「基本法」とは役所の予算取りのためなのか。

インフルエンザと放射能

インフルエンザの時には政府は問題だと言う。放射能の時には問題無いと言う。なぜだろう。インフルエンザは直ちに症状が現われ、放射能は直ちに症状が現われないからだろうか。
3月25日の茨城県東海村日本原子力研究開発機構原子力科学研究所での測定値は2.06-2.20μSv/h
胸のX線集団検診一回が50μSvで、丁度毎日一回のX線検診を受ける事と同じ環境。

毎秒70トンの水を7度上げて海へ戻す

[核燃料の熱量の大きさ]
広島原爆は800gのウランを燃やした。
100万KWの平均的原発一基は毎日3Kgのウランを燃やし、その内1/3を電力へ、2/3は海へ捨てる。
毎秒70トンの水を7度上げて海へ戻す
http://www.videonews.com/asx/interviews/110317_koide_300.asx


毎秒70トンの水 70×60×60×24=毎日6,048,000トンの水
運転停止から10日目 どのような過程で冷えるのだろう


1人1日あたりの平均使用水量を0.25トンとすると24,192,000人分
毎日広島原爆2.5個分を海へ捨てる 3,000/800×2/3=2.5


核燃料の発熱は半永久的に続くらしい。

NHK

NHK官房長官の会見すら中継をしなくなった。被災地には新聞は届きませんよ。ラジオが唯一の情報源の所も多いはず。NHKは2局の内1局を政府公報に割り当てたらどうか。防災無線の政府版。NHKには設備・人材など全て揃っているのだから、そのまま使えるのでは。政府に能力が無い事に対しても、情報が集まりアナウンスするだけで、それならこうすれば良いというような具合になるのでは。政府も手を上げたら宜しいのでは。政府も同じ土俵に乗れば良いのに。
こんな時も御用記者クラブなのか。

但し書き,特例,公益性

 いつもの但し書きや特例を使えば宜し。そして全て「公益性に鑑み」で片付ければ宜し。行政の裁量性を100%発揮すれば宜し。このような事態の時に誰も非難などしません。
 法律の解釈次第でどのようにでも転ぶのでしょう。役人には責任を負わせない、私が責任を負うと総理大臣が宣言すれば宜しいのでは?