原発はさつま芋

 戦中・戦後の食糧難の時代にさつま芋で飢えを凌いだ。さつま芋なら入手出来た。さつま芋しか入手出来なかった。さつま芋しか食べられなかった。さつま芋は原発と同じかも。原発の代わりに火力を使えば、その燃料を輸入するために一日100億円・年間3兆円の費用が掛かり日本国が立ち行かないし、原発廃止なら電力会社の帳簿からその資産が消え、廃炉の経費も計上しなければ成らないし、電力会社の株価も下がる。現存の電力会社と発電設備の都合に於いては、どのようなリスクを負っても原発の稼動しか無い。さつま芋を頂くしか無い。らしい。
 原発にしても風力や地熱にしても180年前位に発見された同じ原理を使っており、熱源が核か石油かガスか風か地熱かの違いだけ。発電原理は他にも有る事から、発電政策が技術で最適化されておらず、それまでの銀行融資・税金投入に伴う都合や核・石油・ガス利権等で決められているように思う。「原発を何%?」は役所の権益・燃料利権の割合をどうする?という事でしょうね。技術とは無縁の話。ソーラーパネルも一つの利権に過ぎないでしょうね。
 電力に限らず、何にしても目の届かない所に依存する生活のリスクは高いですね。売られている物の成り立ちが分からなくなって居ます。生活を変える事が肝。手元の技術が大切。