設計料を払うという習慣はない

良好な景観形成のための建築のあり方検討委員会 関係資料について

  1. 景観を考えるには必ずしも大きな規模のものだけでなく、手の届くところから小さな課題を開拓することもまた、有意義な活動である
  2. 街路づくりにおける建築物のエッジと高さの統一性が重要。やはり制度にまでかかわらないと、次のステップはない
  3. 小学校区に1人ずつ地区アーキテクトみたいな人間を割り当てて、持続的にそこをウォッチングし、記録をし、何らかの提案があればやる
  4. タウンアーキテクトという職能の必要性は
    1. 地域社会の疲弊をどのように再生させるか
    2. 一律のガイドラインやマニュアルを使って景観をコントロールすることへの疑問
    3. 防災で、持続的に地域を見る
  5. 誰もがタウンアーキテクトになり得る。一万人ぐらいの自治体だと、意欲のある人が必ず役場にいる。そういう人たちが一つのイメージになる。ただし、非常に複雑な要素を一個の絵にまとめるというトレーニングをした建築の設計を勉強した人が一番適任であろう
  6. 全体の建築行為の7割、8割を占める民間の小さな建築が大きく景観を形成するわけだから
  7. 行政は看板、電線、建物の色やデザイン、歴史的建造物を守っていくということを景観問題として認識しているのに対して、市民は放置自転車、ごみの不法投棄、空き家、空き地の増加を景観問題として深刻にとらえている
  8. 市民がより本質的に景観をとらえている
  9. 何が調和のとれた美しいまちなみなのかというのは、抽象的に議論できることではない。最終的には政治的な判断の領域。
  10. 京都においてはまちの「女性化」が進んでいる。町家再生を支えたのは主に女性が利用する飲食店。また同時に飲食店を通じて町家再生が市民の間に広がってきた。京都に限らず、都市の「女性化」が進んでいればその都市は再生しているといえる。
  11. まちなみのデザインをよくすると、地価も上がる、歩行者交通量も増えるということは明らかであり、住民と違って事業者はその変化に敏感である。
  12. 町家再生について、複数の組織が取り組みをしている。建築家、大工さん、職人さんの集合や、不動産業者。既に300軒くらい、住宅、町家、店舗も含めて流通している実績がある。組織の収入は工事費の15%いただく形や、加入している不動産業者から年間50万円いただいている形や、町家再生の設計料の15%をもらう形で運営するという一種のギルド的な組織である。
  13. バルセロナの事例だが、公共であろうと民間であろうと必ずどんな建築にも建築家、構造技術者、設備技術者などの名前が明記されていて、この人が全責任をとりますということが分かるようになっている。
  14. スペインでは、各大都市には全てCOA(スクール・オブ・オフィシャル・アーキテクツ)という建築の調整を行う組織があり、民間であろうと公共であろうと、まず設計をしようと思ったら、そこに一回登録をする必要がある。その後、COAにて発注方式を決めている。
  15. ドイツの連担市街地制度は、周囲との調和を最優先にして建てるというルールであり、建築家の自由な発想により新しいものが出来ないという建築界の批判がある一方、現実には、景観サプライズというか、急に変なものができてしまったりする、そのショックを回避出来るようになっている。
  16. 程度問題ではあるが、ヨーロッパの建築家はどちらかというと、即物的ガイドラインにかなり苦しめられていて、いかにそうしたものをなくしていって、より建築家として自由な発想が出来るかについて考えている。そうでなければ、どんどんヨーロッパの歴史的な都市はテーマパーク化していくという危惧を持っている。
  17. ここの地域をどうしたいのかという具体的な場所に合わせて、具体的なルールを盛り込んだオーダーメイドの集団規定をつくっていくというのが景観マネジメントの終着点ではないか。
  18. 川越は蔵の町という印象が強いが、本来、まちの中心部の商店街だけが蔵の町であるのに、まるっきり違う郊外にまで蔵造り風というのが随分つくられている。ステレオタイプ的に、もう川越はそれだという風に凝り固まっているところがある。
  19. 公共施設には人が住んでいないので、地域の中で大きな異質物になっていることがある。住民のためのサービス施設であるのに、所有者は不在で管理者もしょっちゅう代わるし、地域の中で孤立した存在となっている。
  20. 川越は伝建地区なので、だめなものはだめ、いいものはいいという点が分かりやすい。しかし、普通のまちなみの場合、何がよくて何が悪いかの判断は非常に難しい。
  21. 湘南地域では、住民たちが協議会をつくるなど、地区としてまとまった取り組みをしているところがある。ただ、自分たちで任意でやっているので、ルールを破る事業者も出てくるのがつらいところ。川越のように、行政と地域の人が連携するような形で、どちらかというと地域の人の方にかなりイニシアチブが取れるような仕組みがあると、法律やいわゆるガイドラインで解決出来ない部分でも、いい解決を見つけられることもあるだろう。
  22. 観光資源として川越市に何らかの経済効果をもたらすものとしてしか捉えられていなくて、彼ら自身がそれを楽しむということが欠けている。まちが市民みんなの楽しむ場所としての資産となれば、眺望を阻害するマンション建設などを抑止する力にもなるだろう。
  23. 地方都市の中心部ではもうまちなみがなくなっている。何が壊しているかというと、通勤される方々のマイカーのための駐車場が中心部の空き地をどんどん侵食している。
  24. どうやってまちが壊れていくかというと、建築家も介在していないような建て売り業者によって大きく壊れていくわけなので、これをどうするかが問題。
  25. 地方都市に行くと建築家という概念自体がもう既に消えており、例えば設計料を払うという習慣はない
  26. コミュニティ・アーキテクトなりタウンアーキテクトが必要。フィレンツェでは、全体の都市計画を決めてもらうのは世界的なレベルでの建築家を呼んできて決めてもらう。フィレンツェ固有のマスタープランを決めるときには全国のナショナルな建築家を呼んでくる。個々の建築のガイドラインを決めるときは、それにローカルな建築家を加えていくというぐらいの3ランクを決めており、21世紀のフィレンツェがどうあるべきかというのは世界の優秀な建築家に語ってもらおうというコンセプトをやっている。
  27. 地方で講演すると、面白い方がいっぱいいる。しかし、その人は何の権限もない。本当に頑張ってはいるんだけども、実は中心的に活動することができない。だから、人材はいると思う。
  28. 公共施設に対してお金をかけてはいけないという風潮が強くなって、公共施設そのものがストック化していない現状がある。